逃走の線 op.367-3702012年制作、320.0cm×195.0cm、キャンバスに油彩
秋山画廊(2012年9月3日〜22日)
逃走の自由
出原 均(兵庫県立美術館学芸員)
今年の6月に詫摩昭人の最新作をアトリエで拝見する機会を得た。描かれた画面の絵具が乾かないうちにその全体を刷毛で擦る手法はこれまでと同じながら、内容のほうは、風景をほとんど抽象化するまでに変容させていた。とはいえ、そうした抽象、具象の違いを指摘するだけでは今回の展開を十分に説明できないことも確かだと思えた。
※
兵庫県立美術館は詫摩の《逃走の線》を収蔵している。このシリーズの比較的初期の作品で、すでにシリーズの基本的な特徴が現れている。
キャンバスを横に3枚連結した横長の画面に、線遠近法が顕著な俯瞰の風景を描いてから、上述したように、刷毛で画面全体を上から下に擦ることでできあがっている。絵の内容である風景の横の広がりと奥行きに対し、画面の処理である刷毛の縦の動きとその表面性が、それぞれ対称的、対極的だといえよう。
刷毛の擦れが走査線のごとく覆う画面は、雨に煙る光景のようでもある。絵具が乾かないうちに刷毛を入れるので、その状態が刻印されるからである。また、柔らかな刷毛ゆえ、絵具の層を削り取るのではなく、描かれた内容をほぼ保持していることもある。この湿潤さは、後続の作品のように、描かれた風景が砂漠地帯、つまり、乾燥の場であるならば、内容と技法の第3の両極性を構成する。
これら縦と横、奥行と表面、湿潤と乾燥の6つの構成要素を考えていた私は、たとえば、空間の中のばらばらな6つの点を2つずつ繋ぐと、その3本の線が一点で交わるのに似た意外性と緊密性の共存を感じた。これらの構成要素は、同シリーズのいわば座標軸である。座標軸のそれぞれの極を擦れの手法が担い、均衡を保つ点にこそ同シリーズの特徴がある。
作者がこれらの構成要素を見直し、擦れのあり方を試行錯誤した結果、生み出されたのが最新作であることは間違いない。
画面はキャンバス1枚を縦としており、描かれた対象はほとんど抽象で、そこに奥行きを感じることは難しい。こうして、両極のそれぞれの端をなす横と奥行き、そして、乾燥といった内容は排除される。その結果、擦れの手法の、縦、表面性、湿潤は、相手を失い、宙吊りとなる。擦れそのものは、描いたあとに行われる過程からして、自立することはないが、対極を構成しなくなったがゆえに、その自由度が高まったのである。
ここで注目すべきは、画面の上半分、つまり、風景ならば空に相当するところが、漆黒となった点である。これまで稀だった夜の闇が、最近作においては一貫しているのだ。作者は明らかに、上下の対立を強調している。新たに設けられた(上述した3つの極とは無関係な)この対立を、擦れはその自由なあり方において結びつけるのである。
両極のうちの一端となることから、対立を繋ぐことへの変化。均衡から統合へ。その意味では最新作の刷毛による擦れ、つまり、詫摩のいう「逃走の線」は、対象から自由であるとともに、また、それゆえにこそ、意義において全体的なものとなり、包含性を増したともいえるのではないだろうか。
「逃走の線」は、その本性をますます露わにしている。
逃走の線 op.3702012年制作、320cm×195cm、キャンバスに油彩
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