逃走の線―サハラへ op.328

2010年制作、195.0cm×320.0cm、キャンバスに油彩

個人蔵

撮影:阿佐亮佑



メルズーカ砂丘にて

菅原 猛(美術評論家)

詫摩昭人の近作にきわだつ特徴は、従来どおり、画面全体を上から下へといっきにひた走る無数の線条の存在であろう。眼底に焼きついたイメージを払拭しようとする意図、または、不確かで曖昧な視認性を追確認する作業、その双方ともに読解可能だ。

線条、つまり表現主体の整合性を否定する一回性の行為は、都市近郊や田園風景から、今回、サハラ砂漠へと視線を投企した。作家のつよい垂直志向は、一刻たりとも原風景をとどめない砂丘の風紋、エルフード近郊に点在するオアシスの横軸、遠近法と精妙に連動しているといえよう。さらさらとした砂の質感と砂丘に眠る魚貝の化石に誘われ、見る側の視線も否応なく下降し風化してやまない。一方で、モネの大作「睡蓮」が次ぎつぎと網膜上に映し出される。

明らかに対象とそれを凝視る作家との間に介在するスクリーンとしての線条、それはまた広義には、物と物とを限定する要素としての空間、空間の被膜とも解釈されよう。可視可触の三次元の空間は超薄膜でできており、その基本構造は蜂巣状ないしは亀甲状に展開してやまない六角形から成っていると仮説される。この仮説からすれば、今後詫摩の線条にも、単なる垂直志向を越えて他方向へむかう更なる模索が予想されよう。

「逃走の線」連作は、単に人物などの被写体の現象学的追求にとどまらず、その背景となる空間をも包含して消去法のかなたに浮かびあがるモデルの実存を探究しつづけたA・ジャコメッティの方法論とは異なり、むしろ、すべての事象や認識ともども、広大な宇宙を呑み込んだ無限空間を描出した小野木学の1点「普通の風景」(1962年、東京都現代美術館蔵)に近似した親近性をもっている。小野木学が刷毛目の残るマチエールの風景連作を描き遺したのも、地と図の関係があまりにも図式的な自作にいやけがさしてフランスに遊学した以降であったように、詫摩昭人の連作も、スペイン留学時代に、時の美術界を風靡していたスペイン・リアリズムに訣別を告げた作品だろうと推測している。

一過性の旅人に乾燥したモロッコの気候は無縁だったのか―。5月初旬、パリのボザール街でたまさか見かけたフランス政府給費留学生アーメド・エル・ハヤニ(カサブランカ出身)の乾いた空間概念が<共通言語>であるのに対し、小野木学と詫摩昭人両者の湿ったモノクローム空間は島国固有の<地方言語>におもわれてならない。




逃走の線―サハラへ op.324

2010年制作、100.0cm×72.7cm、キャンバスに油彩

色彩美術館蔵





逃走の線―サハラへ op.327

2010年制作、194cm×700cm、キャンバスに油彩






逃走の線―サハラへ op.321

2010年制作、194cm×162cm、キャンバスに油彩

個人蔵







逃走の線―サハラへ op.322

2010年制作、194cm×162cm、キャンバスに油彩

個人蔵

紀伊國屋画廊(2010年7月1日〜7月6日)










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